STORY OF BLACK DESERT
世界観
古代文明を滅亡させたとも伝えられている。カルフェオンとバレンシア王国の間に広がる砂漠に数多く存在する黒い石。
カルフェオンは黒い石が眠る地を「黒い砂漠」と呼び、資源を独占するため戦争を開始した。バレンシア王国はこの戦争で砂漠に
多くの兵士の血が流れたことから、彼の地を「赤い砂漠」と呼ぶようになった。資本と商業の国「カルフェオン」と絶対王政の国「バレンシア」。
二つの国の歴史の中で、あなたは古代文明に隠された秘密に迫り、失われた記憶と黒い石に秘められたビジョンを目の当たりにするだろう。
今、「黒い砂漠」をめぐる古代文明の真実に迫る旅が始まる。
カルフェオンの歴史
肉を黒く腐らせるその病は容赦なく人々を襲い、互いを警戒し始めた人々の往来は途絶え、病にかかったと疑われる者はみな町の外に追い出されてしまった。 #1エリアン暦235年 子どもまで見捨てなければならなかった残酷な病の前では、王族や司祭と呼ばれる高貴な身分も無力でしかなかった。賤民の村に追いやられた彼らもまた、あらゆる富を失い、醜くみすぼらしい姿で死を迎えていった。風が過ぎ去るが如く「黒い死」は跡形もなく消えていったが、その痕跡は下層民を揺さぶった。王族にも自分たちと同じ血が流れていることがわかり、災厄を鎮めてほしいという祈りにエリアン教も応えることができなかったためであった。
生き残った各国の貴族たちは追いやられるとカルフェオンに集い、バレンシアを共通の敵とすることで以前の秩序を取り戻そうとした。エリアン教の司祭は異教徒であるバレンシアが黒の結晶を錬金した魔法の石で病魔をもたらしたのだと扇動し、王族は病魔を防ぐために黒の結晶が眠る「黒い砂漠」を占領する必要があるのだとこれに続けた。
そして、労働の価値を理解し始めた下層民に報酬を約束すると、連合を結成。バレンシアとの長い戦争で大量の血を流すこととなった。
病魔がカルフェオンにだけ襲い掛かったのではないことは、遠征の道中に横たわるバレンシア人の黒い死体によってすぐに露呈した。司祭の扇動は嘲笑を買い、エリアン教によって支持されていた身分はただの偶然によってもたらされたものであると考えられ始めた。しかし、戦争は復讐という明白な理由を作り出すには十分だった。度重なる遠征により、メディアが巻き込まれた。大陸中央に位置し交易で生計を立てていたメディアは、連合側に戦争物資を売り、富を蓄えた。剣から始まった武器は銃と大砲に代わり、鉄鉱山に大規模な製鉄所が築かれた。知識もまた力となった。
バレンシアは砂漠の夜を制し、生活のために黒の結晶を必要とした。これに対し、連合は黒い砂漠を無くす勢いで遠征の度に莫大な量の黒の結晶を運び、メディアはこれを歓迎した。彼らは鉄を溶かすため、また火薬を作るために黒の結晶が必要だと連合に伝えた。カルフェオン連合は遠征費用の一部を黒の結晶の売買で満たされたということに大いに満足した。だが、バレンシアもカルフェオンも黒の結晶の本当の価値を知らなかった。そして、安価で黒の結晶が十分に蓄積されたメディアには強固な城壁に囲まれた都市ができた。此度の戦争で名を馳せたのはバレンシアの王、イムール・ネセルだった。災難を連れてきた悪魔と不名誉を与えられた彼だったが、後になってその行いは武勇伝として言い伝えられた。なぜなら、バレンシア内部が数回の反乱で統制が崩れたにも関わらず、カルフェオン連合は最後までバレンシアの城を見ることすらできなかったからである。連合は砂嵐がカルフェオンの王ダハード・セリックと兵力の大半を黒い砂漠に埋めた最後の遠征まで30年戦争に費やした。
フォガン族はナーガ族を追いやり、セレンディアの沼地に定住した。オークとオーガの大移動もあった。メディア南部には多くの蛮族が集まり、集落を作った。遠征隊の没落で守りがおろそかになった隙に、根城を失った多くの蛮族が被害の少ない内陸に集うと、略奪が横行し始めた。
疎通もなく、混乱はさらに大きくなった。長きに渡り区切られてきた境界線は意図せずなくなったが、長年の隔たりは人と蛮族の交流を困難にした。しかし、例えすぐに対話ができたとしても、生きようとすること以上に正当な理由や立場を挙げることができただろうか?人と蛮族は再び地上で入り混じり、その間に連合も遠征も、過去のものとなった。
ケプラン村、ハイデル、オルビア村はメディアを中継し、バレンシアとの交易を始めた。遠征で不足した財政を埋めるには他に方法がなかったのだ。まもなくカルフェオン王もエリアン司祭らの反発を押し切って商団との交易を許可した。遠征後10年ぶりに再び訪れたメディアは、以前のメディアではなかった。南部は蛮族が占領していたが、北部は幾重にも城郭で囲まれており、その上から銃と大砲で武装した兵士たちが高慢に商団を見下ろしていた。都市は活気で溢れ、煙突や見たことがない装置が並んでいた。カルフェオン商団は理由を見つけるために奔走したが、メディアでは探し当てることができなかった。
手がかりは、黒い砂漠でようやく見つかった。バレンシアの兵士たちが堅く守っていたためだった。ただの燃料であれば、そのように守る理由はなかったであろう。
目を盗むように隠し持ってきた黒の結晶は、カルフェオンの錬金術師たちの手に渡った。程なくメディアの武器がなぜ強力だったかを知ることになった。そして、魔法の石云々と言っていた司祭の言葉が正しかったことを知る。この事はケプラン村、ハイデル、オルビア村にも伝えられた。
各国は、黒の結晶を探し始めた。ケプランは、まず岩山で黒の結晶を発見した。不純物は多かったが、燃焼させるには十分な水準であった。メディアはこれも高値で買い取った。鉄鉱を溶かすには、黒炭よりも高熱で長時間燃える黒の結晶がより重宝され、戦争後、バレンシアが黒の結晶の取引を禁じたためである。次に、黒の結晶はセレンディアの沼地で発見された。幼いナーガの手に付いていた黒い小石が黒の結晶だったのだ。この結晶は純度が非常に高く、これを確認するためにメディアの商人たちが直接訪ねてきたほどであった。カルフェオンは苛立っていた。王国を隅々まで探しても黒の結晶は見つからず、このままではこれまで西大陸の盟主であると自負していたカルフェオンが二流国家に成り下がるのは明らかだった。セレンディアも黒の結晶を手に入れたがった。しかし、問題は下層民であった。病魔、戦争、災害によりその数が減り、野蛮族の略奪により疲弊した兵を立て直すには、多くの金が必要だった。
カルフェオンの若き王ガイ・セリクは戦費を調達するため、地に落ちたエリアン教の地位を復権させる機会だと司祭を説得した。商団には、メディアの商団と競争できるよう兵士を許可すると約束した。再び黒の結晶を取り巻き戦争が始まった。今回は、欲心がその引き金となった。
一年後、クルシオ王はハイデルに帰還した。オルビアは戦争をせず、降伏宣言してカルフェオンの直轄地となった。ケプラン村の採石場とセレンディアに建てた抽出場から黒の結晶が入って来るとすぐ、ガイ・セリクの欲心は父王が埋葬される黒い砂漠へと向けられた。黒い砂漠を占領すれば、既知のすべての王国と未知の世界まで、大陸全体を制覇できると確信したが、今はもう連合はない。メディアを超えるには、ハイデルの強力な助けが必要不可欠だったが、ハイデルが協力的でないことは分かりきっていた。そこで、ガイ・セリクは大規模な傭兵を選ぶことにした。問題は、またもや戦費であった。今まさに入ってきたばかりの黒の結晶を貯める前に、王はしてはならないことをしてしまった。戦費を調達するため、前例のない税金を課したのである。安定を取り戻したばかりの下層民にとって、まさに青天の霹靂であった。また、エリアン教団にも税金を払わせると、商団の兵を王に帰属させた。
セレンディアの歴史
無理な扇動により信仰心が離反した状況での突然の遠征中止通告は、教団の権威を危うくする。またその間、遠征隊が通った所にエリアンの礼拝堂が建っており、うまくいけばバレンシアを含む大陸全土にエリアン教を伝播するいい機会であると考えた為であった。司祭はクルシオに破門を警告する一方、ダハードを慫慂した。クルシオは、苦悶に陥った。カルフェオンとの戦争は厳しい選択であり、ハイデル軍部には、父王に従っていたエリアン信者もまだ多かった。幾度となく使者が訪れた末、クルシオは再び遠征に出ることを決断した。王位を継承したばかりで、内外の課題を乗り越えられえる自信がなく、最後の遠征となる事をダハードが受け入れたためであった。その代わり、ダハードは後代に笑いものにされたくないならバレンシアの城を見るべきではないかと、大規模な遠征を提案した。結局、遠征隊が組まれるまで丸2年かかった。
「黒い砂漠」への道は、クルシオ・ドモンガットさえ目を閉じても行ける、通い慣れた道だった。しかし、世の中はそう簡単には進まない。遠征序盤から吹き始めた風がメディアに至ると、前方を識別しづらいほどの砂嵐が吹き荒れた。砂漠まではまだ遠い。連合は、見なれない城壁の下に兵舎を設け、風が収まるのを待った。それから一週間が経ち、メディアの風景が目に入ってきた。
その間、一体何が起こったのだろう。商団から度々ニュースを聞いてはいたが、メディアは大きく変化していた。兵舎を設けた壁は高くはなかったが、都市全体を取り囲み、あちこちの煙突から黒煙が休むことなく上っていた。ダハードが遠征を促したことに疑問はあったが、遅滞すれば補給に問題が生じる。長い行列が黒い砂漠に辿り着いた頃、風が吹き始めた。今回は雨が混じっていた。砂漠に雨が降るなんて。
その時、誰かが赤い旗を見たと叫んだ。赤い旗はバレンシア陣営を超え、連合が黒い砂漠に入ったことを意味している。従軍していたエリアン司祭が空に向かって祈り始めた。その間、長期戦に備える為の兵舎と陣営が風を遮って設けられた。しかし、すぐに昼が夜のように暗くなり、嵐が吹き荒れた。砂のくぼみでクルシオが目を覚ました頃、ダハードの姿はなかった。赤い旗がすぐそばに転がっているのを見ると、バレンシアの被害は更に大きいことが予想された。
遠征?生き残るのが優先だ。再び黒い雲が四方に広がった。帰還の道は険しいものだった。吹き荒ぶ砂嵐と地盤沈下が生き残った遠征隊を苦しめ、デミ川下流に至っては、海のように広がった川の水が道を遮った。一ヶ月待ち続け、デミ川下流に生じた巨大な三角州を渡ると、ようやくクルシオは我に返り、遠征を後悔した。そうして最後の遠征は終わった。カルフェオンの教団は、兵士たちを大賞賛した。そしてバレンシアが立ち直れないほどの大勝利を収めたと騒ぎ立てた。理由はどうあれ、災害により憂いが募っていたため、必要な癒しでもあった。幸いにも、ハイデル城に至るまでのセレンディア平原は、災害の影響が大きくなかったようであった。ただし南部の地盤は沈下し、湿地が増えていた。
人間が終わられることができない戦争を自然が終わらせ、爪痕が消えるまでの間、平和が訪れた。王を失ったカルフェオンでは、わずか二十歳を超えたばかりのガイ・セリクが王位に就いた。
戦争することなくケプランを跪かせると、ハイデルの監視塔付近の平原まで進撃した。しかし、ハイデルの戦力は侮ることが出来ない。ガイ・セリクは兵力を対峙させると、闇夜に乗じて精鋭と共にハイデル城に向かった。クルシオは、カルフェオンの奇襲であえなく城を失い、さらに屈辱的なことに、捕虜となってしまった。しかし、クルシオは降伏を拒否する。むしろ、生死の確認のためにカルフェオンに来たハイデル側の伝令に自らの命に介することなく決戦をするよう命じたのである。これにより、クリフの軍隊がケプランで攻防を繰り返し、アームストロングがデミ川の渓谷を遡るとカルフェオン平原に陣を敷いた。ガイ・セリクはケプランの切り札である重装歩兵を立てた。その間にもすでに多くの血が流れていたが、このままだと、より多くの血が流れる全面戦争となる。カルフェオンが勝利しても二人の勇将の奮闘には黒い死並みの災いが訪れるであろう。
ガイ・セリクは考えを変えた。必要なのは黒の結晶であったため、降伏文書の代わりに条約文書を差し出した。予期される甚大な被害を防ぐための提案に、クルシオも躊躇った。降伏でないならば、いつかチャンスがくるだろう。カルフェオン派遣官は、条約が履行されている状況を1年以上確認し、その後クルシオもハイデルに戻ってきた。ハイデルの人々はクルシオを受け入れた。監視塔付近の平原を中立地とし、キャンプを西に動かさなければならなかったクリフとアームストロングも王の決定を尊重した。卑怯者と罵る者も多かったが、クルシオは意に介さなかった。それより、カルフェオンの抽出場がセレンディアの湿地に建つのを見ている方が彼を苛立たせた。クルシオが病に罹り始めたのもまたその頃であった。
ガイ・セリクの突然の死に西大陸がざわめいた。まだ30歳になったばかりで、若くて強靭だった男だ。原因不明の病で急死したと発表されたが、毒殺だという噂が広まった。「それなら尚良い。思っていたより早く機会がやってきた。」クルシオはそう考えた。まもなく行われる権力闘争の間、カルフェオンは無力になるだろう。クルシオは、西部キャンプのクリフを呼び、条約の破棄について相談した。クリフは、迂闊に対応すれば、カルフェオンが結集する口実になる恐れがあるとし、様子を見ることを提案した。両者間の対話に首席侍従ジョルダインが割り込んだ。戦後、体調の優れないクルシオのために、クリフが推奨したジョルダインは、良識に優れ、仕事をよくこなし、内政に大いに役立っていた。彼は、ガイ・セリクの死は王室内の権力争いではなく、教団と同調する商人の勢力が起こしたもので、ハイデルがどのように出てこようが現在のカルフェオンには結集する求心力がないと考えていた。クルシオもジョルダインに同調したが、とりあえずはクリフの言葉に従って状況を見守ることにした。カルフェオンの混乱は予想外の方向に急転換した。展開も早く、議会制が成立したカルフェオンは以前よりもさらに強力になった。ジョルダインは25歳で侍従長になった。無差別な殺戮で村や城を引っ掻き回したカルフェオン兵に家族を奪われ、復讐のために軍に入隊した彼が内政の責任を負う侍従長になったのだ。実のところ、ジョルダインの職責は宰相と言えるものだった。しかし、抽出場が建つと、王としての責務を果たせなかったとクルシオが自らを格下げし、城主として呼ばせると他の役職も変更した。将軍クリフが隊長と呼ばれるようになったのもこのためでもあった。ジョルダインはクルシオに、長くても5年以内にカルフェオンは力を失うだろうと言った。商人勢力がカルフェオンを左右するのは、猫に魚を預けたようなものであり、これを制止するカルフェオン教団は、教勢拡張に没頭して財政を疲弊させるだろうと述べた。それまでにハイデルは強くなければならない。そのためには税金を徴収し、軍備を拡充しなければならないとクルシオを説得した。クルシオも放置されていたハイデル城の再建を気にかけていた。
メディアの歴史
カルフェオンからの要請を受けたバリーズ2世は、戦争をする意思がないことを明らかにした。カルフェオンにはバレンシアへと続く道を開けてやり、バレンシアには仕方がないのだと首を振った。そんな消極的な王に代わって流れを打破したのは、錬金術師でありメディア商団を束ねていた人物、ネルダ・シェンだった。ネルダ・シェンは腕の良い鍛冶屋を集めるとカルフェオンとの取引を始めた。メディア商人会がカルフェオン連合に物資を支援する代わりに、カルフェオンは物資の生産に必要な黒の結晶の提供を要求した。黒の結晶の価値を知らなかったカルフェオンは、取り引きを快く応じた。さらにシェン商団は、メディア溶岩洞窟の地形を利用した自然の炉を使用していた。洞窟内の平坦で小さな火口を使い鉄と黒の結晶を分解し、カルフェオンより速く武器を作り出した。そうして製作した材料をカルフェオンへと運べば、その分の黒の結晶が手に入った。カルフェオンは遠征に汲々としており、指の間から漏れていく砂粒を見逃していた。その頃、バレンシア外交使節団が密かにメディアを訪れたのは、メディア商団の数人のみが知っていることだった。メディア商人会は、カルフェオンから受け取った対価の一部をバレンシアに提供し、バレンシアはメディア商人会に交易圏の保護を約束した。カルフェオンは加工技術が向上すると、騙されていたことに気付いたが、今さら黒の結晶の返還を要求できるはずはなかった。カルフェオンは、自分たちが渡した黒の結晶を取り戻そうと交渉したが、取引は決裂した。自由宗教だったアルティノがバレンシアの神を継承し、アールに仕え始めたのは、バレンシアと外交を行うという事実上の表明だった。
そして、メディアの郊外で行われていた密かな動きが…再びメディアを以前の無法地帯へと舞い戻らせることになるとは誰も予想していなかった。
恐ろしい災難の発端はタリフ村だった。メディア西部のジュナイド川を挟んだ小さな村、タリフはソーサラーが集まっており、代々外のことには関心のない閉鎖的な村だった。約300年前、ソーサラーのカルティアンが集団を率いて東の地から移動し、メディアに定着してタリフ村を造った。これがタリフの犠牲を伴う歴史の新たな始まりとなった。タリフの規律は、村を設立したカルティアンが死ぬ前に残したカルティアン書が土台となっていた。この魔法書には、タリフのソーサラーが守るべき規範とカルティアンの力が記されていたが、やがてカルティアン書は手に負えない力となってしまった。拠り所を移ったソーサラーが少しずつ力を失っていったからである。カルティアン書を習得した者は、最終的に己の限界に打ち勝つことができず、肉体的または精神的に衰弱し始めた。その為、新しくカルティアン書が作られ、本物のカルティアン書は封印された。そして、本物のカルティアン書には最も強い次の指導者によって結界が一つずつ加えられていった。破れることも、燃えることもないカルティアン書に書き記されているソーサラーの破滅を外に出ないようにするためであった。
メディア城がイレズラの手により燃え上がり、メディアでは漆黒のような夜が三日間続いた。太陽も、月も見えず、ひたすら暗闇の中、トーチに頼り、誰もが恐怖に震えなければならなかった。アルティノも例外ではなかった。ある者たちは攻撃的になり、ある者は奇声を上げてアルティノを飛び出していった。彼らの目に映った光は明るく燃え上がるメディア城だけだった。くだらない王政が崩れたことはそれほど驚くべきことではなかった。バリーズ2世が死去したことを悲しむ者はいたが、メディアの末王子が生き残ったことを喜ぶ者はいなかった。イレズラは煙のように消え、彼女の正体に関するさまざまな話が広がり、不穏な噂だけが流れていった。 #7エリアン暦280年 イレズラが再び姿を現したという知らせが入ってきた。イレズラの名前を出してアルティノに流れ込んできたのは、廃鉄鉱山の近くを越えてきた野蛮族である。人間の言葉を話す黒マントをまとった野蛮族がアルティノを無理やり占領しようとしていた。野蛮族の侵略により、メディア北西の森の中に住んでいた非道なセゼークハンターまでがアルティノに集まってきた。
バレンシアの歴史
目覚めし者が現れて一人の青年を古代の石室へと導き、閉ざされていた扉が開くや皆が跪いて石室に向かう階段を架けた。金銀財宝で溢れるその部屋に着いたとき、青年は真っ先に金色の王冠を手にした。バレンシアの最初の王が誕生した瞬間だった。災いをもたらしたバレンシアの第 4代の国王、イムル・ネセルの統治が終わって 50年。バレンシアの人々は、当時の記憶のすべてを忘れて暮らしている。大砂漠を襲った黒い死も、バレンシア史上最も残忍な事件として伝わるアクマン大虐殺も…。 #1エリアン暦233年 アクマン部族とネセル王族との間の葛藤は、予見されていたことの一つだった。バレンシア建国以前から存在していたアクマン部族は、自らを<古代文明の守護者>と称し、どこにも属そうとはしなかった。彼らは、バレンシア砂漠に存在した石室や古代遺物などを巡って王族と絶えず摩擦を起こし、第 4代国王イムル・ネセルは、アクマン部族を糾合することが唯一の課題だと考えた。
イムール王は気が短い男であった。アクマン部族に幾度かの交渉が全て断られると、自らの理性を保つことが出来ず、怒り狂った。結局、王の軍隊がアクマンの勢力圏に派遣された。その光景は戦争などではなく、一方的な虐殺だった。転がっている同胞の死体を目の当たりにしても、彼らは決して屈服する事はなかった。
そうしてアクマン部族が姿を消すと、やがて禍々しい災いが西大陸を覆い始めた。バレンシア商団から始まった流行病「黒い死」。肌が黒く腐敗していく残酷な光景の中、イムール王も愛する王妃を失うことになった。人々はアクマン部族を虐殺したイムール王が、神々の怒りを買ったのだと噂した。他国では彼を悪魔と呼んだ。バレンシアが黒い石を使って災いをもたらしたのだと。カルフェオンのエリアン教の司祭たちは、災いを静めるために、黒い石が埋もれた砂漠を統治する必要があると扇動した。
自信満々だったカルフェオンの遠征隊が辛うじて越えた砂漠の上には、まるで予測でもしていたかのように、武装したバレンシア軍が立っていた。国王のためだけに存在するバレンシア軍の牙城にしてみれば、集結したばかりの連合軍など敵ではなかった。カルフェオンの王ガイ・セリックの固執によって戦争は 30年間続いたが、その終わりは実に虚しいものだったと伝わっている。砂漠の上で入り乱れるカルフェオン連合軍とバレンシア軍を飲み込んだ巨大な砂嵐、それはバレンシアでも前例のないことだった。カルフェオンは数万人の遠征隊を失い、それ以上は砂漠に足を踏み入れることができなくなった。そのような形で、戦争は自然の摂理によって終結を迎えたのだ。砂の上に振り撒かれた血痕も、戦争の残忍さも、すべて砂漠が片付けてしまったかのように消え去った。イムル王は、犠牲になった兵士を称えるため、戦争が起こった場所を赤い砂漠と称し、戦争を勝利に導いたアール神に感謝した。そして王が残した言葉は、ほどなくしてバレンシアの指針となった。「砂漠はアールの領域であり、オアシスはアールの清涼さであり、黒い石はアールの豊かさである。」と。黒い死と長い戦争、そして疎かになった内政のせいで、小さな反乱も相次いだ。疲れ果てた王の健康に赤信号が灯った頃、バレンシア王国の象徴である黄金の鍵を譲り受けて王位を継いだのは、第 5代国王トルメ・ネセルだった。バレンシア史上、最高齢で王位を受け継いだトルメには、すでに 3人の息子と 1人の娘がいた。
持病に苦しんだトルメが逝去したあと、長男のシャハザード・ネセルが第 6代の王位に就いた。トルメの遺言によって、彼と異国の女性の間に生まれた二番目の王子バルハンは軍部を、三番目の王子マンメハンは法典を、そして末の王女サヤがアールの経典を管理することになった。バレンシア国民は安心し、そのような王国を誇りに思った。 #6エリアン暦282年 しかし、平和な日常はそう長く続かなかった。二男のバルハンが母から、黄金の鍵がシャハザード王の元にないということを聞いたからだ。千年に渡り先祖代々伝わってきた黄金の鍵は、バレンシアの初代国王が誕生した場所へと通じる鍵だ。それは代々バレンシア国王のみに所持が許された王の証であり、大切な物。滅びたと思われていたアクマン部族が姿を現したのも、砂漠を徘徊する古代巨人の動きが異常である事も、それが原因ではないかと考えた。バレンシア建国伝説に関わる秘密を知る事のできる黄金の鍵、それは時として、バレンシア王国にとっての脅威となるのであった。
カーマスリビアの歴史
最年少で女王となったブロリナ・オーネットはカーマスリビアを掌握しようと必死であった。ブロリナは生まれつきガネルの力を所有し、自然への理解も深く、王たる存在への頭角を見せていた。しかし、優れた知恵と機転を持っていたことから女王になるべくしてなった彼女であったが、そんな彼女をもってしても戦争を止めることはできなかった。カーマスリビアを脅かすベティルの勢力の内のひとつ、アヒブが炎の如く燃え盛る憎悪と悪意によって戦争を扇動していた為だ。かつての内戦は、ガネルとベディルによるものではなかったのだ。原初の時代、太陽の力を授かったガネル、月の力を授かったベディルは、共に女神シルビアから生まれた。二人は双子の姉妹であり、親愛な仲だった。しかし、エリアン暦235年、二人の絆を試す試練が訪れた。カーマスリビアを襲った災いである。豊かな生活を送っていたシルビアの子孫達にとっては初めての試練であっただろう。山や森、草原などあらゆる場所に闇の精霊達が現れ、次々と災禍に巻き込まれていった。女神シルビアの子孫達は、彼女の唯一残した大いなる力を持つ神木カーマスリブにすがるしかなかった。日々続く、災禍からの悲鳴に子孫らは平穏を祈ったが、女神が答えることはなかった。
更には、未来を見通す力を持つツールリアは、いずれカーマスリビアの首都まで火の海になると予言した。その予言を聞き、ベディルは闇の精霊を超える力を探求すると決断した。しかし、闇の精霊の力を超えるものはカーマスリビアには存在せず、闇の精霊に抗う術は見つからずにいた。最後にベディルが至った考えは、神木カーマスリブ自体を燃やすことで発現する力に希望を託すというものだった。彼女望みは、現実となった。カーマスリブが燃え尽きる際に発現する力は、破壊そのものと言えるほどに強力であった。その力によって、闇の精霊による災禍を打ち払い、平穏は確かに訪れたが、子孫らに残ったのは、森のすべての要素であり、大自然の母であった神木カーマスリブの残骸と喪失感だった。幸いなことに、悲しい静寂を破ったのは森の歌だった。この歌は長い間、すべての森に響き渡った。
そして、危惧した。再び同じような危機が、もしくはそれ以上の災いが襲ってきた時のことを。彼らはもう女神の力にすがることができないからだ。恐れを感じたカーマスリビアの子孫達は、残ったカーマスリブの枝に、森の精霊の力を込めることで武器を作り、また自らの力を高めた。この頃からカーマスリビアの子孫達は、武器の扱い方や理念の違いから、4つの流派のようなものへ分離していく。弓と剣を操るレンジャーと、聖域カーマスリビアを守護するアーチェル近衛隊が手を組んだ。アーチェルは首都を掌握し、カーマスリビアの国境及び全ての関所を閉ざし、カーマスリビアへ外来の者が訪れるのを拒絶した。その後、ベディルがガネルと離反。力の扱い方、はたまた思想も大きく変わっていった。中でも、アヒブと呼ばれる者たちは、最も危険な存在と変貌していった。アヒブは、一部のベディルの種族だけで組まれた超常的な力を求める勢力であった。かつてのあのカーマスリブの生命を燃やすことで得た強大な力に魅入られたのだろうか?カーマスリブの消滅によってアヒブが誕生したとも言われている。アヒブの者達は、自らの森や歴史に興味はなく、ただひたすらに力を求めた。カーマスリビアの者たちは、アヒブを異端者として、ベディル諸共排除しようと動いた。そんな中、一部のベディル種族は、中立宣言を行う。純然たる力ではないが、レンジャーと同じく、古き歴史のあるカーマスリブの意思を受け継ぎ、カーマスリビアの守護を誓ったダークナイトである。こうしてカーマスリビアの子孫達は、アーチェル、レンジャー、ダークナイト、アヒブの4つに分離した。
多くの傷を負ったカーマスリビアの土地は時を経て、みるみる回復していった。その頃、カーマスリビアでは、眠ったカーマスリブを復活させる為に、特殊な修行を積ませた司祭を育てていた。彼らを各地へ飛び立たせ、各地に存在する精霊の力を借り入れカーマスリブに注ぐことで、徐々にカーマスリブは復活の兆しを見せていたのだ。 #4エリアン暦284年 アヒブが乾いた大地に逃げてから8年が経過した。闇に沈みしオーディリタにアヒブの要塞が建造され、彼らがサルンクマと結託し、新たな武器を作り出したという噂がされていた。乾いたいばらの蔓は殺気を抱き、痩せた地はアヒブの光で揺らめいた。カーマスリビア草原の東部に駐屯しているレモリア監視隊が、アヒブの動きを注視して警戒を強めていた。ある日、ドジャックトンネルを監視していたレモリア隊員たちが、乾いた大地を越えてきたアヒブと衝突した。レモリアの支援軍が加勢したが、結果は凄惨なものとなった。続く戦いにより、草原を守っていたレモリア軍の大半を失い、カーマスリブ司祭たちがドジャックトンネルを封鎖したことでやっとアヒブを退けることができた。彼女らは、もはや以前のアヒブではなかった。なぜこんなに強くなったのだろうか?それはまるで、暗黒の精霊に再び遭遇したような恐ろしさだった。アヒブの魔の手が差し伸べられるほど、アーチェルは焦っていった。カーマスリブの復活まであとわずか。だが、このようなアヒブの勢いでは、平和は約束できないかもしれない。
ドリガンの歴史
ドラゴンを殺した呪いは「シェレカン」にふりかかり、彼らはドラゴンののどの渇きを癒すために生涯を過ごさなければならなかった。 #1エリアン暦185年
意図せぬ過ちによりドラゴンの血を浴びた部族。皮膚は次第にの血を浴びたのように硬く、体は巨大になり、彼らは自ら「シェレカン」と名乗った。最初の入植地はドリガンの東。一帯の少数部族を一つにまとめ、シェレカン出身のアクムが初代統治者となった。しかし、シェレカンの栄光は1年も経たずにあっけなく幕を下ろしてしまった。彼らが定着した土地には必ずひどい日照りが続き、干からびた土の上で皆が水一滴を惜しみながら死んでいった。
シェレカンの戦士たちが次々と死を迎える中、ある記録者は災いについての血を浴びたの血を浴びた代償であると言い、シェレカンの歴史は長くは続かないだろうと予想した。ドラゴンを殺し血を浴びたシェレカン最後の生存者アクムは、息を引き取る直前、後代にドラゴンの牙を渡し「これを土に埋め、祝福の雨が降る地に定住せよ」言い残した。ドラゴンの呪いによって死んでいった先代の遺志に従い、残された者たちは長い放浪の旅へと出かけるのだった。
遂に空から雨が降った。40年ぶりに降る雨は、ドリガンの渓谷に渇くことのない滝と湖を作った。こうしてドラゴンの牙が眠る地、ドベンクルンが誕生した。長い放浪の旅に疲れ果てたシェレカンの子孫は、ついに定住の地を見つけたのだ。放浪の旅は、彼らの身体をすっかり変えてしまっていた。ジャイアントよりも巨大な身体と力を持っていたシェレカンは徐々に小さな体つきになり、力も失っていた。しかし、定住の地を見つけた喜びに比べれば、身体が小さくなったことなど問題ではなかった。
ある晩、ドリガンの国境付近の小さな警戒所が燃え上がった。静寂を破ったのは、カーマスリビアから侵攻してきたアヒブだった。カーマスリビアの内部分裂にあったアヒブがサルンクマの領土へ向かうため、ドリガンの国境に入ってきたのだった。アヒブとドリガンの自警団の衝突は、追撃してきたカーマスリビア軍によって鎮圧されたが、数少ない自警団に頼っていたドリガンはこのような小さな脅威にも無力であることを実感した。この事件をきっかけに自警団を率いた人物、ドルゲフはシェレカンの誇りを守るためには軍隊が必要だとし、ドベンクルンに軍の組織を要請したが、元老会では自警団を正式な警備隊に昇格させるという意見を伝えただけで、他の措置は無かった。 #5エリアン暦286年 外地からやってきたハンターが、狩りの最中に奇妙な光景を目撃した。丘の上に広がる翼…それは間違いなくドラゴンだった。「ドラゴンが現れた!」ハンターの叫びがレイブン警戒所からドベンクルンまで響き渡った。狼煙が上がり、村長となっていたドルゲフは汗ばむ両手を握りしめた。ドラゴンを倒したシェレカンの子孫と言われてはいるが、実際にドラゴンを見るのは初めてだった。何よりドリガンの軍力ではドラゴンに敵わないことを知っていたため、驚きよりも恐怖に体が震えた。幾度かの会議の末、ドルゲフは多数の反対派を退けて、優れた傭兵の招集を決定させた。ハンター、傭兵、退役した軍人など誰でもよかった。『戦える者ならば誰でも歓迎します!』と書かれた通達を各国家に送る。こうしてドリガンの歴史は再び動き出したのである。
果てしない冬の山の歴史
ドラゴン狩りのドラゴン、ラブレスカ。彼女は、同族の心臓で黄金の山の主となった。彼女に挑むドラゴンが出てこない長い間、神の手落ちなのか、試練なのか分からない炎を抱く前までは。偶然にも、神をも焼き尽くす炎、イニックスを抱いたラブレスカは、神の権威に挑戦した。しかし、神が彼女の双翼を折って足を切り、果てしない冬を降らせると、黄金の山の栄光は永遠の彼方へと消え去った。ラブレスカは無様な姿で「最初の死」を迎えた。ただ心臓の奥深くに炎だけを抱き、太古が眠る安息所へ…。しかし、ラブレスカの最初の死から新しい七つの生命が目覚めると、山の下の獣たちは、七つの生命を雪原の魔女と称した。
「必ず帰ってくる、この炎は君の生命であるゆえ」シルバーウィロウはラブレスカに固く誓い、立ち去った。彼が去り、果てしない冬の山に死を招く冬が始まった。イニックスが消えるなり、闇の精霊がラブレスカの体を蚕食し始めた。ラブレスカが悲しみに暮れて流した涙から「雪獣人」が生まれた。長い月日が流れ、ようやくラブレスカが二回目の死を向かえたとき、体中の傷口から新たな生命である「アベッス」が生まれた。山の下からは泣き声が聞こえてきた。ラブレスカの死により六魔女も死に、その場に残された精髄を吸収した人間たちが変異して、村を荒らした。
黒い湖の部族長は自らを偉大なる開拓者と称し、残りの五つの部族を集結させた。鹿アベッスの「エイル」は偉大なる開拓者の呼びかけに応えようとする部族の代わりに村を守ることを約束した。その日はアベッスがズビエル丘陵地から離れた最初の日でもあった。6番目の魔女のケヘルに、女王ベルセデスと兵隊ムラスカから成る、ムロウェク軍団を治める知恵を受け継いだ偉大なる開拓者は、覇気に満ちていた。しかし、予想とは異なり、六魔女の知恵を一か所に集めても、ドラゴンの相手をするには力不足だった。拠点を捨てて追従した五つの部族は怒りを露にし、偉大なる開拓者は五つの部族に石を投げられ命を落とした。だが、父の死を目撃した、彼の息子であるアクムが、後日再び部族を集結させた…。